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投稿者: さやま まや
私にとっての「かわいい」とは
欠けている私を愛するための魔法なのです。
ずっと誰かに聞いてほしいと思っていたお話を、どうかここでさせてください。
「かわいい」に似た概念に「美しい」というものがあります。(私はそれらを対極だと思っているのですが。)
まず、「美しい」というのは「満ちていること」だと思うのです。
満月、大輪の花、黄金比。「崇高であること」、神のような「手の届かなさ」みたいなものを含むもの。おそらく、「畏怖」に近いような気がします。
しかし対して、「かわいく」あることの条件は何だったでしょうか。
私は「欠けていること」あるいは「満たしてあげたい、という心を動かすこと」だと思うのです。ある意味では「かわいそう」に似ているのかもしれません。
昔のテレビ番組だったでしょうか、「究極の可愛さとはどんなものなのか」というテーマに対し、結論として出た「究極の可愛さ」の特徴のうちのひとつが「死に近い」だった、という話をとても納得したことがあります。女性、子供、小動物…たしかにどれも「死にやすい」生き物ですね。生が欠けている、これが一つ目。
もう一つ、「欠け」というものを語りたいのですが、それはまた今度お話ししましょう、ここでまたお会いできれば。
私は、いえきっとみんな、決定的にどこかが欠けています。
人として生きている限り、きっとどこか欠けたままでいるしかないのでしょう。
そんな「欠けた」私にとって、「かわいい」という概念は救いでした。
それは私にとって、どうしても埋めることのできない私を愛してあげるためのお守りのような、祈りのようなものなのです。
⚪︎
そうやって考えると、私が1つ目を描くのもきっと同じ理由なのでしょうね。どこか欠けた私の写し身。
これからもそうやって、私は私を愛していきます。
どうかここまで私の拙い文章に時間を割いてくれたあなたが、あなたを愛することができますように。最後まで読んでくれてありがとう、愛しています。
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